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「お母さん」と呼んだ日 (泣ける体験談)

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テクスト冒頭部分

25:病弱名無しさん:02/09/0420:25ID:BAYtiWaJ感動とか言うよりも、未だに思い出す度に後悔の気持ちでいっぱいになって自分自身が泣けてくる話を一つ…。多分と〜っても長いです。長文苦手な方は読み飛ばしてくださいね。私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。小学校4年になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。あんまり気が進まなかったけど、断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。すごく苦しかった。でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。--------------------------------------------------------------------------やばい、また涙が出てきた。でも、今の自分を客観的に見るためにも頑張って続きを書きます。あと1〜2レス続きます。26:病弱名無しさん:02/09/0420:32ID:BAYtiWaJ気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に「あの人は?」と訊いた。父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、そのまま力尽きて下流まで流された。その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。私は次の日に継母のいる病室に行った。継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。あの子なら、命かけ

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ピックアップフレーズ

私がまだ小学2年の頃、小学校4年になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった、あと1?2レス続きます、私は病院のベッドで寝、父は一呼吸置い、数十年経った今でも夏になるたびに思い出す、

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